オープン化に対する自分なりの立ち位置

最近は坂東さん(id:keitabando)のプロジェクトに参加させて頂いてることもあり、オープン化に関して考えることが多くなってます。


オープン化の周辺にはクリエイティブ・コモンズのようなライセンスに関する話とか、オープンイノベーションなど様々な話題がある。
どれも興味深い話で、そういったトピックに関する知識も高めていきたいし、イノベーションの現場には技術者として主体的に参加してゆきたい。


オープン化に関係している団体とか、その動きについても紹介したりしないとなと思いつつやや勉強不足だけど、まずは一個人としての考えを書いてみようと思う。

僕が「オープン化」という言葉を使うときに頭にあるのは主に以下の二つ。

    1. 情報のオープン化 - これまで公開されていなかった研究データなどの情報を公開
    2. 人材のオープン化 - 所属にとらわれず、解決したい課題に合わせた人材を柔軟に集める

「情報」ってのは幅広すぎるけど、ここで書くのは『研究や開発』関連のデータなどについてです。
科学関連情報のオープン化による研究の円滑化を目指すサイエンス・コモンズとか、坂東さんのMy Open Archive は1に分類されると思うけど、どちらかというと2に寄った話になりそう。


上のように分類してみたところでやはり『オープン化』という言葉は曖昧な感じがするので、その逆は何かと考えると
『囲い込み』
になるのかなと思う。オープンじゃないということは枠があるわけで、具体的には国やその他の組織が枠として働いている。
特定の組織が囲い込んでいる情報や人材を何らかの形で外に出すのが『オープン化』と考えると、少しクリアになった気がする。


そこからさらに、僕個人が『オープン化』に魅力を感じる理由を考えると、
 A. 特定の組織内に人や情報が囲い込まれることによる閉塞感への反発
 B. オープン化によって生じる新たな変化を楽しみたい
という感じ。

Aは少し後ろ向きな理由だけど、日本の研究室に所属している人や、会社勤めの人の多くが感じていることだと思う。
もちろんどこの国にいても感じる部分はあるのだと思うけど、シリコンバレーの大学院や会社を見て最も魅力を感じたことの一つに、枠のゆるさ・壁のなさがあった。


組織に対する反発は、組織をまとめる人に向けてしまいがちだけど、それは分かりやすいとこを攻めているだけで、本当は構成員の全てが責任者だ。
だから、それぞれが主体的に動いて、ネットワークを広げることが『オープン化』につながると思う。*1
だから組織に属しながらも、その枠に捕われないつながりを個人としてつくる。そのために行動する。というのが僕の立場。



Aが現在ある状況への反発なのに対し、Bは未来に向けたもの。こっちの方がいいっすね。


オープン化によって枠がなくなると、研究室ごととか、企業ごとではなくて個人同士がつながるようになる。
自分なりに面白いと思ったこと、やりたいと思ったことが共通した人同士が結びついて、プロジェクトが立ち上がる。
情報がオープン化されることによって、研究者や技術者という枠もなく、そこに興味を持ってコミットした人がつながるわけで、今までの仕組みの中では見つけられなかった人(例えば、特定の分野に異常な関心がある高校生とか主婦とか。id:min2-flyさんがこのエントリーの最後に書いていた100万人に1人の変わり者)も輪に入ってゆく。


その時なにがおこるのか、全く予測できないけど、むちゃくちゃ面白そうじゃないですかという単純な好奇心。
もう1とか2とかAとかBとかどうでもいいから、見てみたいw



そして、大切なのはオープン化すること自体ではなくて、その背景にある「もっと世界を面白くしたい」という志向性だと思う。


科学とか技術には本質的に枠なんかないし、研究者とか技術者をやってる人も、その分野に関して「面白い」とか「それを生かして世の中に役立てたい」と感じた人たちな訳で、その思想は枠なんか関係なく開かれたものであるはず。
それが組織とか特定の枠にとらわれて、いつの間にかうまく機能しなくなってしまうなんて悲しすぎるじゃないですか。



だから、枠を取り去った世界を広げていって、その世界で起こることを見てみたい。
そして、傍観者ではなく主体的に見たいので、自分も実力つけて一人のプレーヤーとして活躍したいってのが僕の立ち位置です。


学んで行動して創って楽しみます。

*1:むしろ、経営者は社会全体の中にある自分の組織という視点を持っているはずで、考えが固定化しやすいのは構成員かもしれない。