バイオの基礎シリーズ3 〜形式知と暗黙知〜

以前、『形式知暗黙知』というテーマで書いたエントリid:apple-scruffsさんが嬉しいコメントを下さいました。


コメントの最後に

また 機会あれば、このテーマの3を宜しくです(キリがないですよね・笑)

とのこと。


てなわけで、嬉しさドリブンで早急にシリーズ3を書くことにしました。

暗黙知形式知っていう概念は、ネットで軽く調べた感じでは「ベテラン社員のもつ暗黙知をいかに若手社員に伝えるか」みたいな文脈で使われることが多いようです。団塊世代の退職といった時代の流れでそういった話が増えているんでしょうね。マニュアル化しづらいノウハウをいかに伝達するか、という。


それも重要な話ですが、バイオシリーズなんで生物について。
前のエントリで紹介した、とある研究者のことばがこちら。

我々人間は、文章やデータとして表現できる形式知をもっています。しかし、動物はそれには当たらない暗黙知だけで生きている。生き物っていうのは、暗黙知だけで生きることが可能なんですね。

必要な栄養分を摂取し、眠り、危険を回避し・・といった全てを、生物は誰にも言葉では教わらずに実行し、生きてゆきます。
そしてそこに潜むメカニズムを、論文など形式知の形で表現する、それが生物学。というあたりが紹介したお話。


今回は、生物学で表現しようとしている暗黙知について、もう少し考察してみましょう。
まずは生物学者が紡いだ形式知の一例を見てみましょう。
せっかくなのでオープンアクセスのPLoS論文を活用。
植物の生育と光の関係を扱ったものです。



出典:Laxmi, A., Pan, J., Morsy, M., and Chen, R. (2008). Light plays an essential role in intracellular distribution of auxin efflux carrier PIN2 in Arabidopsis thaliana. PLoS ONE 3, e1510.
(図の一部を配置・大きさを改変して引用)*1



Aと書いてある左の図は、光を当てたときと当てない時でシロイヌナズナという植物の若芽の成長にどんな違いが出るか、というのを見たもの。
白い矢印が茎と根の境目を表してるんですが、光を当てた時に根が長く伸びてることがわかります。*2


ここから、光が当たる、当たらないで根に何らかの変化が起きてることが予想されるわけですが、そのメカニズムは暗黙知の領域。
さて、どんな風に形式知として説明付けたか、というのが右側の図。


根っこの先っちょをちょっと特殊な方法で見ているので、全体が赤っぽく見えています。
上と下で、光あり/なしが分かれるわけですが、光のある時だけなんか根の端っこに緑色の光が出てるのがわかると思います(一番右の写真は拡大図)。


この光は、オーキシンという植物ホルモン(植物が伸びたり花を咲かせたりっていう変化に強く関わる物質と考えて下さい)を運ぶタンパク質を光らせたもの。
つまり、光を当てた時だけ、オーキシンの「運び屋さん」が根っこに現れて、根の全体にオーキシンを運んでくれるということが起きてるらしい。
もっと前の研究で、根や茎が伸びる過程にはオーキシンが必要なことがわかっているので、それと合わせると

光が当たる > オーキシンの「運び屋」が根で働く > オーキシンが根に行き渡る > 根が伸びる

という反応が起きてると考察できます。*3


オーキシンは茎の先っぽでつくられるんですが、日陰にあると根にゆきわたらず、茎の部分ばかりが伸びてしまう、ということで

光が当たらない > 茎がひょろひょろ伸びる

も説明できそう。


お、何とか形式知になったようです。


めでたしめでたし、といきたいとこですが、よくよく考えると、

『で、何で光が当たると根っこに運び屋さんが現れるの?』
『このメカニズムは、どうやって獲得したの?』
『他の植物でも、一緒なの?』

などなど、わからんことだらけなんです。


困っちゃいますが、何十億年もかけて生物が進化してきたことを考えると、全部分かるのなんて土台無理な話ってのは当然です。
でも、今まで誰も気づかなかったような切り口を形式知として提示すると「なるほど」っていう喜びが得られる。
よくできた形式知が『法則』として提示できれば、それを発展させて役立つ発明につなげたりもできるわけです。


全部分かるわけのないと知りつつ、それに魅せられ、挑んでゆく生物学者ってのはなかなか素敵。
そんな考えを共有できたら嬉しいですね。



随分と偏った例を1つだけあげて説明しちゃいましたが、根っこの伸び方一つとっても生物というのは膨大な暗黙知の固まりなわけで、生物保護とか環境保全ってのは『暗黙知の保存』ともいえるのかもしれないですね。


そういえばWebは『膨大な形式知』という側面の強いものですが、それをつくってる人間は暗黙知の固まりなわけで、全部つながってるんだろうなあなどと考えたり。

apple-scruffsさん、コメントときっかけどうもです(^^

*1:全文はこちらhttp://www.plosone.org/article/info:doi/10.1371/journal.pone.0001510

*2:家庭菜園をちょっとやった人は、日当りの悪い場所に種をまいたところ、ひょろひょろと頼りない芽が出てきてしまったことがあるのではないでしょうか。『徒長』ってやつです。

*3:もちろん、実際の論文ではもっといろいろやってますが、ものすごくかいつまんで説明させて頂きました。Laxmi先生、全く知らん人ですがすんません。