形式知と暗黙知

先日、とある著名な学者の方のお話を聞く機会があった。

そのとき聞いた話で印象に残ったのが、形式知暗黙知という概念。


我々人間は、文章やデータとして表現できる形式知をもっています。しかし、動物はそれには当たらない暗黙知だけで生きている。生き物っていうのは、暗黙知だけで生きることが可能なんですね。


平易に語られた言葉だったけど、そんな考え方をしたことがあまりなかったので、非常に印象に残った。

確かに、生物学の研究者のそばにはいつも生き物がいるけど、彼らは何も語ってはくれない。しかし、彼らは非常に高度なメカニズム(=暗黙知)を備え、したたかに生きている。
そして、科学の機能は暗黙知形式知に、特に数値データというかたちで変換することである。
それは、化学や物理学にしても同じだろう。
そのように考えると、新しい発見をするためには、暗黙知を意識することが重要である。


そんなことを思った。

まだ誰もことばにしていない可能性や知を、なんらかのかたちで表現するという点では、起業家や芸術家にも通じる部分があるのかもしれない。そう考えると、どれもすごく素敵な仕事だ。


自分個人に当てはめると、シリコンバレーに行く意味について考えるヒントになった。
今回行くことを決めたJTPAのカンファレンスでは、シリコンバレーという場所で多くの人に出会うことができる。
しかし、その目的ははっきりしていない。何を得ようとしているのかは、人それぞれだ。

シリコンバレーに行く計画を立てる中で、そして人と出会う中で、恐らく、今までに経験したことのない量の暗黙知が自分を襲う。
とても刺激的で、貴重な経験になるだろう。


しかしそれをどう解釈し、どう変わるか、何を学ぶかはやはり自分次第で、自分が得たものの意味や体験したことの背後にある膨大な何かを意識する姿勢を保っていないと、多くのものはこぼれおち、消えてゆくだろう。


受け取った暗黙知たちと仲良くするために、存分に悩み、苦しみ、それを楽しみ続けようと思う。